【ひろまる日記】平成30年8月6日 白石区の歴史を築いた若き英才 〜佐藤孝郷


8月4日、5日は、萬蔵祭でした。
毎年8月の第1土、日曜日が恒例となっています。

このあたり一帯の地主さんだった長浜萬蔵さんに
由来するお祭りと聞いています。
そして、昨日の5日には、
北海道命名150年の記念式典もありました。

7月19日、特別道政報告会として
北海道命名150年を記念して
「北加伊道六十話」という本を出版された
財界さっぽろ社長 舟本秀男さんをお招きしました。

今日は、その舟本さんの講演を振り返って
白石区の歴史に思いをはせてみたいと思います。
白石区の歴史は、明治維新と
深くつながっているのです。

白石区のはじまりは、伊達正宗の軍師・片倉小十郎が、
主君正宗から与えられた領地を発祥とします。
今でも、白石区のふるさと祭りでは、
宮城県白石市から片倉小十郎所縁の鉄砲隊を招くなどの
交流が続いています。

1868年の大政奉還後に戊辰戦争が起こり
奥羽越列藩同盟は官軍に抵抗しました。
ちなみに、奥羽越列藩同盟の結成は白石城で行われたそう。
その結果、白石藩の禄高は、
18000石から55石に、藩士の屋敷などは
すべて南部藩に没収となりました。

白石藩の藩士1406名(家族を合わせると7459人)が
一挙に生活基盤を失った。
舟本さんによると、この処遇は、
西郷隆盛や黒田清隆が対応に当たった
会津藩と比較しても
あまりにも過酷にすぎるようです。

結果、旧白石藩は、なんとか士族の身分を失わずに
衣食住を得る方法はないかと重役たちが奔走して情報を集め、
蝦夷地移住が最良の策と判断したそうです。
藩主片倉邦憲は乗り気ではなかったが、
政府への嘆願書を当時の重臣の名前で政府に上申。
(亘理藩などは、しっかり藩主名)

文面を見ると、賊軍とされた側の厳しい立場が
よくわかります。
結果として、政府は申し出を許可し、
幌別郡(今の登別)に移住支配を命じますが、
しかし、それは、自費で行け、融資も断るという
極めて冷たいものだったそうです。

よく、私たちは屯田兵について学校でも習いましたが、
戊辰戦争で負けた側に対する新政府の対応や、
白石藩などの士族移民の過酷さについては、
私自身も十分には認識していなかったように思います。

結果として、白石城を解体して、資産を売却し、
それを移住費用として幌別の開拓が進められ
第一陣として19戸、第二陣47戸、177人の
限定的な移住となったそうです。
これが現在の登別市の前身です。

さて、白石区です。
舟本さんのお話の特徴は、
「人」にスポットを当てて
北海道の歴史をひもといてくださることです。

旧白石藩に残った約600人を率いて
1871年(明治4年)に2班に分かれて船で
最月寒(当時の呼称:現在の白石中央)に出発したのが
当時21歳の若き家老・佐藤孝郷です。
移住費用や身分の確保など、彼の手腕は
相当なものであったとのこと。

船の座礁などさまざまなアクシデントを乗り越えて、
一行は、函館を経由して小樽に向かいます。
その後開拓使の指示で、
当時、北海道西海岸では最も栄えていた石狩に向かいます。
600人を収容できる番屋や納屋が
当時の小樽にはなかったようです。

この時期はすでに真冬。
開拓使は来春からの開墾を勧めました。
ところが、佐藤孝郷は、来春にすぐ開墾できるよう
厳しい時期の移住を希望。
67人の名乗り出た男女とともに、
わずか20日間で、月寒村から最月寒(当時)にいたる
道路や住宅を完成させたそうです。

想像もつかないというか、
同じことは、決してできないとおもいます。
まず、石狩から白石までの真冬の移動。
距離だけの問題ではなく、原野、森林の中の移動。
今のような道具も満足ではないなかでの作業。
その当時の先人の努力を思うと、
人口減少やさまざまな課題は今もあるが、
解決できない課題などないのではないかと思えてきます。

この働きぶりなどが開拓使大判官岩村通俊にも評価され、
1872年(明治4年)12月21日
郷里の名をとって「白石村」が誕生しました。
当初600戸が白石村に移住する予定だったが、
57戸は、白石村に行かず発寒(当時の呼称:今の手稲)に入植。
諸説はあるが、若い佐藤孝郷と
年長の他の重役との軋轢などもあったようです。

その後、佐藤は開拓使からも重用されていたが、
佐藤への反発も強く、結果として、
1884年(明治17年)札幌を離れることとなる。
73歳の生涯を終えるまで、
白石村のことを気にしていたそうです。
少し悲しいですね。

最後まで読んでくださってありがとうございます。

白石村においても、その後に北海道に入植した先人たちも
食べるもの着るものにも事欠くなかで
教育、人材育成に力を入れた記録も各所に残っています。
改めて50年後100年後の未来につながる
人材育成に力を入れたいと、私は思っています。

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