【ひろまる日記】平成30年11月2日 広田まゆみのこと その2~どうして北海道議会議員になったか


みなさん、こんにちは。

前回ブログの「なぜ、政治の道を志したか」を
予想以上に多くの皆さんに読んでいただいて
ほんとうに感謝しています。
元氣をいただきました。

ご質問もいただいたので、
今回は、北海道議会議員として
最初の選挙に挑戦しようと決意するまでのことを
振り返ってみたいと思います。

私は、政治家として、また、これからの人生の目標として
「100人の社会企業家的地方議員の誕生をめざす」
ことを掲げました。

にもかかわらず、まず、最初にお伝えしなければいけないのは、
私が道議会議員になれたこと、その前に、
党公認の候補になれたことは、
出身の労働組合とのご縁によるものです。
それは、3期を経た今も変わっていません。

なので、草の根選挙を自らの知恵と力で勝ち抜いてきた
多くの地方議会議員の皆さんの前では、
私は、何かを語るべき資格も力も持っていません。
それが今の私の現実です。

同時に、このブログを書きながら、
ある種、客観的に、自分自身の今までを振り返ると、
応援してくださっている労働組合幹部のみなさんにとっては
理解不能な恩知らずの議員なのだろうと
改めて自覚、反省もするところです。

前回のブログで、道庁退職後、議員になる前の
私の農村での活動のことを少し書きましたが、
その前は、11年間道庁職員で、
そのうちの4年間は労働組合の専従の
女性部長として活動していました。

ちょっと余談ですが、
道庁では、生活保護のケースワーカーとして、
浦河町で約6年間仕事をしていました。
ちょうど「浦河べてるの家」の草創期で
この時期に浦河にいられたことは私の原点の1つでもあります。

浦河時代のことは、このブログに書いているので
良かったら読んでみてくださいね。

https://hiromaru.jp/archives/6764

そのケースワーカーをしていたときに
私は、労働組合の女性運動に参画するようになります。
20代の終わりから30代の初めの
4年間は労働組合の専従の女性部長として活動します。
世界の女性参画の流れで、世界公務組合の
国際会議やリーダー研修にも参加させていただきました。

また、特に、最後の1年間は、知事選挙にも携わり
当時動き出していたNPO法に関わることなど
知事公約の策定などにも参画できたことは
ほんとうに大きな経験でした。
改めて、深く深く当時の関係者の皆さんに感謝します。

さてさて、道議会議員にどのようになったのかについて
話を戻さなくてはなりませんね。

衆議院選挙の比例区候補に挑戦したことで、
NPO法人の役員や、当時、務めていた建設会社も
退職することになり、その後2年間だけ、
党の非常勤職員として、
常任幹事会にも加えていただいていました。

今から思うと、というか、
ほんとに、今、はじめて気づくのですが(笑)
まったく空気が読めてないというか
身の程をわきまえずに、
なんだか、大きい顔して「正論」ぽいことを
語っていましたね。

私は、NPO活動、地域活動など
ほんとにささやかな実績にもならないことなのに、
自分自身の力でここに居ると勘違いしている。
しかし、党組織としては、
出身の労働組合の縁で置いてやっているのに
鼻持ちならん、というところでしょうか…。
好感度ゼロですよねー。

「政治の道を志す」「法律や制度しくみをつくる」という
気持ちだけはゆるがないものですが、
気がつくと、行き場のない状況になっていました。

今も同じ状況かもしれませんが…。

 

成長していないですね。
つくづく反省します。
今は、この今の自分がつくってきた現実を受け止めながら
そのなかで、北海道の未来のための
最大の成果をあげたいと願っています。

さて、その当時に話をもどします。
今後どうしたらよいか、ご相談したのが
2人の首長さんでした。
当選後にいただいた応援メッセージのリンクも貼りました。
まるで、今の私を予言しているようで驚きます。
どうぞ、よかったらご覧ください。

お2人とは、
まず、お1人目が、雨竜町長の藤本悟さん、


藤本町長(当時)の応援メッセージ

お2人目は、恵庭市長の中島こうせいさんです。
とくに、中島前市長には、今も北海道自治立志塾という
学びの場でご指導いただいています。

中島前恵庭市長からの応援メッセージ

お2人から共通して出たお話は、
地元の利益だけではなく北海道全体の未来を考える
道議会議員がいないのではないか、
そのためには、札幌市選出の道議会議員がいいのではないか
そんなアドバイスをいただいたように記憶しています。

それで、単細胞の私は、
空知管内雨竜町にあった住民票と党籍を
当時、シングルマザーの友人とシェアしていた住居のある
札幌市の「ある区」に移動しました。
特に深い計画とか戦略とかはなくです。

その私の行動によって、
当該地域の党幹部や道議会議員の方から
私の出身の労働組合の方に、
厳重抗議があったそうです。

おそらく、そのような経過もあり、
組織としては苦渋の決断をいただいたと思います。
私のあずかり知らぬところで
さまざまなご議論もあったと推察します。
一度、道庁組織から勝手に飛び出した私が、
白石区の先輩道議の後継者として
挑戦しないかというお話をいただくことになりました。

この時も即断即決でした…。

ドラッカー教授は、「産業人の未来」のなかで、
このように政治について書いています。
第二次世界大戦のさなかに二度とヒトラーような独裁者の
再来を許さない社会をつくるという明確な意思をもって
書かれた本です。

政治の役割は、理念によって物質の世界を組織立てることである。
そして、その世界を機能させることである。
政治において理念を至上とするならば、
自らとその支持者が笑い者になるだけである。
逆に理念なくして組織を求める者は、
自らが何をしようとしているのかさえ知りえない。

理念について妥協せず、
しかも権力と組織に関わる現実の問題については
辣腕の政治屋並みの手腕を持つ者こそ、真の政治家である。

このドラッカー教授の言葉を受け止めると、
私自身は、政治家としては、まだまだ力不足です。
おそらく議会内政治や、会派内政治には
ほんとうに不向きです。

改めて、こんな私を支えてくださっている後援会や、
労組のみなさん
そして、何よりも、私の名前を書いてくださった白石区の
すべてのみなさんに、私は、何をもって貢献できるのか。

1期目は、33385人、2期目は無投票でしたが、
3期目は、27318人の方に「広田まゆみ」の名前を書いていただきました。

このみなさんのために私に何ができるのか。

北海道議会議員として、私にできることは何か。
他の人ではなく、自分にしかできないことで、
もし、それがうまくいったら、
北海道の未来のために大きな成果につながることは何か。

それを考えて考えて到達したのが、
社会企業家的地方議員を100名北海道に誕生させようという
方向性でした。

1人の素晴らしい北海道知事を誕生させるよりも
もしかしたら、179の自治体があり広大な北海道の
持続可能な発展のためには、
そちらの方が大きなインパクトがあると、私は感じています。

なぜなら、今は、人口減少問題や、気候変動の課題、
ITの進化などなど
先の見えない変化のスピードの激しい時代だからです。

おそらく、地域の課題解決は、
中央政治や大規模組織よりも、
遠いところ、小さいところ、弱いとされているところから
はじまるのではないでしょうか?

というか、それは、すでに、
既存の政治と関係ないところで動き出しています。
その既存の政治と
地域の課題解決の現場のズレが
私には気になってしょうがないのです。

今、北海道でも、地方議員のなり手不足が指摘されていますね。
もったいないです。
巷で言われるような報酬の低さだけが原因ではないと
私は、思っています。

私にとって、地方政治のこれからや、
北海道の「自治」「地域経営」に関する期待と
それと裏腹の危機感は、とてもとても強い感覚です。
北海道の「自治」を現場から確立することは
中央政治や、政党政治の課題よりも優先します。

北海道の未来に、地域の未来
こどもたちの未来に直結するからです。

たとえ、万が一、中央政府が倒れても
日本銀行券が紙になっても、
北海道の人が飢え死にしたり、凍えないように
最低限の準備をしていたいのです。

中央政治やその財源に依存しすぎることなく
北海道の強みである「自然資本」「文化資本」を
最大限に活用していこうと活動している人たち。

あらゆる変化を脅威ではなく機会ととらえ
新しい社会サービスや生業を作り出して
社会課題を解決しようとしている人たち。

そういう人たちこそが、北海道の未来にとって
貴重な財産です。

そんな彼、彼女らにとっても、
地方政治、地方議員がやりがいのある仕事となるような
挑戦しやすくなるような
そんな新しい政治文化の土壌を北海道の地に作れたら幸いです。

そのための肥やしになれるような活動を
北海道議会議員として、みなさんに許されるなら
続けたいと思っています。

最後まで読んでくださってありがとうございます。
たぶん、ちょっと長すぎました。

正直、私には、まだまだ、みなさんを直接支える力はないけれど
もし、地方政治に関心、志がある方がいたら
ご連絡ください。
少なくとも、必要な学びの場はお伝えできます。

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