【11月22日 渋沢栄一翁の生地を訪ねて】


ドラッカー学会の後で、
ドラッカーがその著書マネジメントのなかでも言及した
近代日本経済の父とも言われる
渋沢栄一氏の生地を巡るツアーに参加しました。

渋沢栄一氏は、天保!11年に深谷市の農家に生まれます。
家業は藍玉(染料)の製造、販売を行い、
一説には一万両(現在の5億円)の売り上げがあったとも言われる
豪農であり、いわゆる算盤に明るかったようです。

写真は、旧渋沢邸(なかの家)の前にあった藍。(蓼?)

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20代で倒幕思想を抱きますが、
紆余曲折ののち、
一橋(徳川)慶喜に仕官し、
27歳でパリ万国博覧会を見学するなど
欧州諸国の実情を見聞。
77歳で会社経営からは退いたそうですが、
その後も国際交流などに
尽力したことにも心を打たれました。

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明治維新になって帰国後、
一旦、大蔵省に仕官しますが、政策について納得いかず退官。
日本で最初の合本組織(現在の株式会社)を
仕官前に設立していたのをはじめ、
第一国立銀行をはじめ、約500を超える企業設立に
携わったそうです。

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渋沢栄一記念館には、
渋沢氏が立ち上げた渋沢倉庫株式会社の経緯や
組織図なども展示されており(写真撮影禁止でした)
当時すでにあった倉庫や運送のしくみも
土台にしながら、新しい仕事として、
私的利益のためではなく公的なインフラとして作っていったことに
感銘します。
わが北海道の現状を見るとき、
交通インフラの立て直しと、強化を
各事業者間が垣根を超えて
北海道の未来に北海道の強みをどう活かすのかという視点で
考えねばならないと焦りを感じます。

資本の蓄積の薄い北海道では、
一事業者だけでは、限界があり、
地域が一体となって進んで行かねばならないと
改めて痛感した次第。


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