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【ひろまる日記 No.188 4月11日 ドラッカーの著作と人生を紹介】

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今日は、ドラッカーの著作と
人生の一端をご紹介します。
ドラッカーはマネジメントの大家と言われていますが、
自身は、社会生態学者と呼ばれるのを好んだと聞きます。
ドラッカーは幼少の頃から、
第一次世界大戦、大恐慌、その後のヒトラーの台頭から
第二次世界大戦にいたるまでの間を観察し、
かなり意図を持って
二度とヒトラーのような専制が繰り返されることのないよう
機能する社会と組織のために
マネジメントを世に出したようです。

以下が、簡単な、
ドラッカーの年表と著作です。

1909年11月19日 オーストリア=ハンガリー帝国の首都ウィーンに生まれる

※1918年11月11日、第一次世界大戦終結
(ハプスブルグ家は滅び、オーストリアは分割されて共和国となり
6000万人の人口は600万人となる)

※1929年10月24日 暗黒の木曜日、世界大恐慌により就職先の
アメリカ系証券会社が倒産。

1933年 初めての著作
「フリードリヒ・ユリウス・シュタール論ー保守主義とその歴史的展開」
を出版。出版後禁書とされて焚書処分。
ドイツを脱出。
※この年、ナチスが少数与党として右派連合政権を組閣。

1939年 「経済人の終わり」を出版
※この年、ドイツ軍のポーランド侵攻により第二次世界対戦勃発。

1942年 「産業人の未来」を出版

※1945年 第二次世界大戦集結。

1946年 「企業とは何か」を出版。

1954年 「現代の経営」を出版。

1957年 「変貌する産業社会」

1964年 「創造する経営者」

1966年 「経営者の条件」

1969年 「断絶の時代」

1973年 「マネジメント」

1976年 「見えざる革命」

1979年 「傍観者の時代」

1980年 「乱気流の時代の経営」

1981年 「日本成功の代償」

1985年 「イノベーションと企業家精神」

1986年 「マネジメント・フロンティア」

1989年 「新しい現実」

1990年 「非営利組織の経営」

1992年 「未来企業」

1993年 「すでに起った未来」
「ポスト資本主義社会」

1995年 「未来への決断」

1996年 「挑戦の時」
「創生の時」

1998年 「P・F・ドラッカー経営論集」

1999年 「明日を支配するもの」

2000年 「プロフェッショナルの条件」
「チェンジ・リーダーの条件」
「イノベーターの条件」

2002年 「ネクストソサイエティ」

2005年 「テクノロジストの条件」
※11月11日、クレアモントの自宅にて逝去。

 この記事の投稿者

広田まゆみ

北海道の自立と未来のための志事人、広田まゆみです。
函館生まれ札幌育ち。現在は、白石区在住で、北海道議会議員として活動中。

札幌市立向陵中、札幌西高、北海道大学を卒業後、北海道庁職員として、日高管内浦河町で生活保護のケースワーカーが最初の仕事です。
その後、労働組合の女性部長なども経験し、自分探しが高じて、11年務めた道庁を退職。
空知管内の雨竜町に移住します。

約8年、農家民泊や、農作業ボランティアのコーディネートなど都市と農村の交流を推進するNPO活動に従事した後、道庁の労働組合時代のご縁で、政治の道を選びました。

だいたい10年ごとに大きな転機があった私ですが
これからの人生の時間は、社会企業家的地方議員を100人つくることをはじめ、こどもたち、若い人たちを応援することに集中したいと思っています。

プライベートでは、気ままなひとり暮らしを満喫中。
大の温泉、銭湯好き。
チャンスがあれば、エネルギー独立型のエコ銭湯を経営してみたい。
完全なワーカホリック、働きすぎ人間ではありますが、最近は、ヨガにはまっています。
地域のヨガサークルで週1回教えられるような70歳になってたら嬉しいですね。

他には、着物、ヨガ、旅、ハガキ絵、「館」めぐり、そして、やっぱり、北海道の未来のために働くことが大好きです。

ドラッカー読書会FT。91期エクスマ塾生。
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