活動報告
【ひろまる日記】平成30年9月30日 1人の地方議員が災害時にできた小さなこと①
2018年9月30日
9月6日 3時7分ごろ、厚真町を震源地とする地震が発生しました。
今も、厚真町、安平町、むかわ町、そして札幌市などにおいても
甚大な被害のなか、現在も、避難所で生活している方たちがいます。
1日も早い復旧、復興に向けて、微力ながら、私にできることを
これからも続けていきます。
今日は、震災から20日以上を過ぎましたが、
震災直後の私個人の行動を、反省も含めて、振り返らせてください。
本来は、議員としては、議会BCP計画(業務継続計画 Business continuity planning )を
北海道議会として早急に策定すべきであり、
また、今回の災害の大きな教訓は、北海道全域にわたる停電ですから、
これからの地域分散型のエネルギーシステムについても書かねばいけません。
この2つのことは改めて書かせてください。
議会のBCP計画については、浦幌町のページをご参照ください。
https://www.urahoro.jp/oshirase/catetemp2_oshirase29/2018-0313-0930-48.html
このブログでは、一個人の議員の私が、災害時にとった行動と
今後、改善すべきと考えたことを、小さなことだが、書き留めておきたいと思います。
さて、6日の地震発生直後、私は、ちょうど1時間前に就寝したばかりでした。
私の住居は、商店街のなかにある2階建ての木造アパートの2階です。
かけてあった絵の額が落ちたり、組み立て式のラックが倒れるなどの状況。
揺れている間は、怖ろしくて、動くことができませんでした。
※まだ、うちの中の掃除は手がついていません(笑)
押し入れにあった防災リュックを出し、手回し式の懐中電灯つき充電器を出しましたが、
使えません。ここが、まず、第1の反省点です。
東日本大震災以降、防災リュックなどを用意しましたが、定期的に点検していませんでした。
みなさんは、いかがでしたか?
少し落ち着いて、窓の外を見ると、お隣の店舗や、マンションに一部灯りがついていました。
最初は、古い建物なので、うちだけが停電したのかと思いました。
商店街のいいところで、大家さんやご近所さんの声が外から聞こえます。
私も寝間着のままでしたが、外に出てご近所さんと安否確認。
それだけでも何かホッとしたのを覚えています。
日常的な地域コミュニティーの重要性を再認識します。
しかし、すぐ、信号や街灯の状態から、一帯が停電になっていることがわかります。
点灯していたのは、店舗やマンションの非常灯だったんですね。
震源地がどこかわかりませんが、札幌まで停電になるというのは
一帯、どこで何がおこったのか、懸命にスマホで情報を入手しようとしました。
当初出ていた発表が、震度3だったので、そんなわけはないと思いました。
公式な有益な情報を発信するのが私の務めと思っていましたが、
AM5:00には、気象庁から公式発表があるとの情報を見て、それだけを
リツイートするのがせいいっぱい。
余震も続いており、もう一度大きく揺れたら、地域の町内会館に行かねばならない、
みなさんの助けにならねばいけないと自分に言い聞かせながら、
着替えて、防災リュックを背負ったまま靴を履いて、
玄関の土間に足を投げ出して、座ったままひたすら明るくなるのを待ちました。
幸い、大きな揺れはなく、事務所を開けて、まず、最初にできたことは、
給水サービスです。
停電によって、付近の多くのマンションの皆さんが
水が出なくて困っていました。
せめてもの試みでしたが、議員である私に対し、
給水に来る皆さんが期待するのは、情報でした。
「カセット式のガスコンロはどこで買えるだろうか?」
「停電の復旧の見通しはどうだろうか?」
私自身も、情報がスマホやipadのみ。
皆さんのニーズに応えることはできません。
そんななか、道議会は電気も自家発電で機能しているとの
同僚議員の発信を見ます。
泊原発の使用済み燃料の冷却装置は機能しているのかなども気になり、
私自身が唯一の情報源であるスマホ等の電源を失ってはいけないと
道議会に走ることになりますが交通手段がありません。
私は、車を持っていません。
自転車も、知人に差し上げてしまってない状態。
独自の交通手段は、まさかの時にすぐお借りできることも含めて
持っているべきかもしれません。
数社のタクシー会社に電話を入れて
やっと1台のタクシーを確保します。
このタクシーを逃したら、後がない。
すでに、給水を必要とする方が、事務所にいらしている状況でしたから、
事務所のドアを開けたままで
とりあえず、大家さんだけに声をかけて、道議会に走りました。
道議会に走って、まず、したことは、道庁からの公式情報をSNSに流すこと。
そのころからすでにデマ情報がでまわっていました。
「消防の知人から・・・」
「NTTの方から・・・」
などの情報です。
また、泊原発の冷却装置が、非常用電源を使用しているが、
安定していることも確認でき、まずは、ホッとしました。
そして、可能な限り、電源が確保されている状態で、
正確な情報を発信しようと努力していました。
ほんとにそれくらいしかできなかったのですが、SNSの時代に、
道議会に電源が確保されている意味を、
私たち議員1人ひとりが認識する必要があるなと感じました。
災害時のSNS対応については、大西熊本市長が有名ですが、
村中比布町長のツイートは素晴らしかったと思います。
やはり、日常的に使っていないと、災害時には使えないですね。
道議会の外に出ると、5分のみという制限のある充電コーナーに長蛇の列ができており、
観光客と思われる人たちも大きな荷物を抱えて座り込んでいるという状況でした。
正直、道議会庁舎の一部を、外国人や観光客の方のために、開放すべきではないかと感じました。私に権限があれば、即座にそうしていたと思います。
もちろん、冷静な判断ではないかもしれませんが、今後に向けて議会庁舎の使い方は今後要検討だと思います。
6日夕方4時頃に、私の事務所の並びの居酒屋さんがすでに通電しており、
地域の方のために、食事を提供するため、営業をスタートしたということを
議会にあるテレビの報道で知りました。
事務所が通電しているとは限らなかったのですが、暗くなる前に、
事務所に戻らねばと道議会を後にします。
夕方5時ごろに、事務所に到着。
通電を確認、電気をつけて、ホワイトボードに、「充電OKです、お気軽にどうぞ」と
書いている最中に、事務所のガラス戸をたたく音。
「充電させてください」と泣きながら、若い女性が立っていました。
独り暮らしで、情報もなく、途方にくれていました。
その方をはじめとして、6日17:00~8日の2:00まで、24時間体制で
白石区内での通電を確認するまで、事務所を開放しました。
6日の震災直後からはじめて、横になって眠れたのは、
8日の明け方になります。
正直、1人体制では限界で、公共交通が回復してからは、
豊平区からスタッフが駆けつけてくれましたが、
災害時の事務所体制についても考えていかねばいけないですね。
このような延長コードが4つあってもピーク時は満杯に。
8日の朝からは、電気も水も白石区ではすでに復旧。
意外だったのは、事務所には朝から、心の不安からの相談の方が
多数お見えになりました・
避難所もすでに閉じられており、さらに喫茶店等も
クローズで行き場がないのだということ。
東日本大震災でも実感しましたが、
災害は、もともと地域や個人の心にある課題を顕在化させます。
その後、札幌市においても、避難所のあり方が課題として報道されました。
しかし、私は、このまま、災害対応の延長で、事務所を開け続けるより
次の日は、ボランティア募集をしていた安平町のはやきたこども園に
ボランティアとして入り、現場の状況を確認することを選びました。
災害時の延長としてではなく、
日常のコミュニティの力の強化をしていかねばいけない。
そう思っています。
昨日29日は、ほぼ毎月1回のペースで開催している
ひろまる相談サロンの日でした。
日常の積み重ねが災害にも強いまちをつくります。
そのことをかみしめながら、日々の地域活動も目的意識を持って
取り組んでいきます。
北海道は元気です。
被災地をしっかり応援しながら、
北海道の元氣をどんどん発信していきたいと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
12月14日は、本郷商店街のなかで
太陽光の自家発電の講座を開催予定です。
今回の災害に関しては、震災直後の9日から
安平、厚真町などにボランティアに入った報告を
次回にさせてください。
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