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誰かの支えに~手話の世界

ひろまる日記

昨日は、久しぶりに手話の「世界」に触れた。
手話は、私が社会人のスタートを切った浦河の生活での大切な要素の一つだ。今でも、「浦河べてる祭り」に毎年1回出かける時には、私の手話の先生だった元 手話通訳者Aさんのお宅に泊めていただく。当時と同じ住宅ではないのだが、当時、浦河時代の多くを2軒長屋のお隣どおしで暮らしていて公私ともに大変お世 話になり、いろんなことを学ばせていただいた。
何度か紹介したかと思うが、私の社会人のスタートは、生活保護のケースワーカーだ。人生に偶然はないとよく聞くが、まさに、今、政治の仕事をしていて、その時のさまざまな修羅場?や、実態も含めて、あの時、大変だと、恵まれないと思った経験に感謝したいことが山ほどある。
それは、さておき、当時の浦河手話の会に入って、良かったことの一つは、そこに、私が担当する生活保護の当事者も同じ会員として、学びに来ていたことだ。 浦河手話の会は、当時は、浦河のキリスト教会の会議室で開催されており、そこに併設されていたのが、まだ、有名になる前の今以上に順調に問題だらけの「べ てるの家」だった。今から考えれば意識的にだったのかもしれないが、会長が当時の浦河日赤病院の向谷地ソーシャルワーカーで、日赤に医療事務のスタッフさ んや、地域の飲食店や薬局のおかみさんや、小学生などが入り混じって、さらに、そこに、精神障害の当事者が普通に混ざるという会だった。

採用されてすぐ、浦河町を担当した私は、お風呂のない住宅に住んでいたこともあり、銭湯に行けば、自分が担当する生活保護のケースに会うし、買い物に行け ば、買い物カゴを覗き込まれるし、いささか、慣れない小さな町の生活に閉口していた。後で聞けば、福祉の専門職は用務以外で、自分の担当するケースと社交 すべきではないという不文律のようなものがあったようだが、浦河手話の会のおかげで、完璧ではないにしても、支援する、支援されるという立場を越えた水平 な関係の実体験をさせてもらったことに、ほんとうに感謝している。前述の向谷地ソーシャルワーカー(当時)もさることながら、手話通訳者であったAさんの 度量の広さというか、揺るがない人権感覚に多くのことを学んだ。

もう一つ、手話の会の活動から学んだのは、聴覚障害とは何か、ということである。
まず、厳しく言われたのが、手話が下手くそでも、聴覚障害の人が周りにいる時に、健常者だけで口話で話すと厳しく叱られた。後で、自分が、聴覚障害者の人たちの「手話の世界」に入ると、ふだん、いわゆる健常者がいかに配慮がないかを逆に立場になってはじめて認識する。
また、それぞれ会員が交代で手話の勉強のテーマや題材を決めて準備するのだが、その時も、聴覚障害とは、単に、耳が聞こえないということではなく、情報障害であることを教えてもらった。
例えば、今、覚えているのは、私が用意した文章に「ピエロ」という言葉が出てきたときのことだ。単純に「ピエロ」というのを指文字で表現したり、手話で表 現したとき、いわゆる健常者には認識できる。認識できるので、その手話の形を覚えればいい。しかし、聴覚障害当事者のなかには、まず、ピエロというものの 存在や概念がまったくない場合もある。手話などのコミュニケーションの保障がまったくされていないので、小さい時から、得る情報が圧倒的に少ないのだ。

一方、概して、大らかな、表情豊かな人が多く、ざっくりと分類するとすると、当時「ラテン系」という言葉で、私は表現していたのだが、いわゆる日本人らしくない人が多いような気がした。
手話という言語を使う時は、大事なのは、表情などのボディランゲージだと理解している。嬉しいという手話の時には、嬉しい顔。寂しいという手話の時は、寂 しいという顔。いわゆる健常者の多くにとっては、通常のコミュニケーションは、言語に頼っているため、表情やボディランゲージも使って、自分の気持ちを伝 えることは、まったく意識の外だ。以前、コミュニケーショントレーニングの実践のなかで、口から発する言葉と、表情などが、逆になっているケース、例え ば、しっかりNoと断る場面で、毅然とした表情ではなくどうしても笑顔になってしまうことなどに気づいたことがある。
私が、「手話の世界」に触れて、元気が出るのは、その豊かな感情表現に触れることによって、何かしら、自分が開放されるような気がするからかもしれない。
いずれにしても、すべての出逢いに感謝である。

この記事の投稿者

広田まゆみ

北海道の自立と未来のための志事人、広田まゆみです。
函館生まれ札幌育ち。現在は、白石区在住で、北海道議会議員として活動中。

札幌市立向陵中、札幌西高、北海道大学を卒業後、北海道庁職員として、日高管内浦河町で生活保護のケースワーカーが最初の仕事です。
その後、労働組合の女性部長なども経験し、自分探しが高じて、11年務めた道庁を退職。
空知管内の雨竜町に移住します。

約8年、農家民泊や、農作業ボランティアのコーディネートなど都市と農村の交流を推進するNPO活動に従事した後、道庁の労働組合時代のご縁で、政治の道を選びました。

だいたい10年ごとに大きな転機があった私ですが
これからの人生の時間は、社会企業家的地方議員を100人つくることをはじめ、こどもたち、若い人たちを応援することに集中したいと思っています。

プライベートでは、気ままなひとり暮らしを満喫中。
大の温泉、銭湯好き。
チャンスがあれば、エネルギー独立型のエコ銭湯を経営してみたい。
完全なワーカホリック、働きすぎ人間ではありますが、最近は、ヨガにはまっています。
地域のヨガサークルで週1回教えられるような70歳になってたら嬉しいですね。

他には、着物、ヨガ、旅、ハガキ絵、「館」めぐり、そして、やっぱり、北海道の未来のために働くことが大好きです。

ドラッカー読書会FT。91期エクスマ塾生。
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